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0.1mm足りない

「BRIGADOONまりんとメラン」感想

友人に勧められていた「BRIGADOON まりんとメラン」がアマゾンプライムで見放題になっていたので観ました。

 

以下感想です(ネタバレあり)

 

とにかく最終回にとても心動かされた。ラストまでを丁寧に丁寧に絆を描いているからこそ、胸を打つ(ここは張り裂ける、と表現するべきか)んだろうな。大団円、というには切なさと犠牲を伴っていたけれど、あのまりんとメランの2人の描写がとにかくたまらなく好き。まりんは「愛してる」と表現したけれど、メランはたぶん形容する言葉を知らなくて、「胸が張り裂けそう」という表現になってるのがもうたまらなく好きです。あの一連の言動は、「胸が張り裂けそうな痛み→中和を求める」ほどメランもまりんを「愛している」という解釈でいいのかな????気持ちの底にある言語ではないものが通じてるという表現が引き立っていて大好き……。

 

信頼関係とか異なるもの同士がわかりあうとは……みたいないろいろ思うところがあったのだけれど、一番に感じたのは「運命と意志」だった。

激流のような運命の中を生きていて、自分の意志ではどうすることもできない。まりんに振りかかる辛い出来事の数々に目をつむりたくなる。最初はどうしようもなく運命に振り回されているだけだったまりんが、そんな中でも進む道を自ら選択し、意志をもって成し遂げようとする姿になっていくのがよかった。それを支える長屋の人たちや、メランや、みどり先輩やもえちゃんも。正直、最初の数話のまりんのテンションについていけるか不安だったけれど、あの明るさがあったから最終話までたどり着けた気がする。

 

とても素敵な作品に出会えた。友人に感謝。

プライムの民になったのでいろいろアニメ観たいな……。おすすめあったら教えてください。

youtu.be

 

www.amazon.co.jp

www.marin-to-meran.net

本の間のあのはがき

最近よく、書籍の間に挟まっているはがきに感想を書いて出すようになった。ここが好きだった、よかったということを数行でも書くようにしている。

 

以前はなんかはさまってるなーと思って捨てるか、しおりがわりにしてスルーしていた。書籍に限らず何かしらのアンケートで回答が自由のものは、書かずにいることも多かった。

 

言葉にして伝えるという行為が特段好きなわけでも、得意なわけでもない。むしろ苦手な方だと思っていて、悶々とああでもないこうでもないとぐるぐると考えて文章を組み立てているうちに「やっぱりいいや」となることも多い。実際今までそうだった。

 

きっかけは、昔から大好きな同人作家さんが、悪意ある言葉に筆を折りそうになったという話を目にしたことだった。幸いにもその同人作家さんは今でも活動を続けてくださっているのだが、それを見てから、作り手に「好き」をお返しすることを考えるようになった。

 

面白かった、好きだというプラスの感想でも、伝えればいいというものでもなく、それが作り手の負担になることもあると思う。(Twitterとかの「クソリプ」うんぬんしかり)また、同じ言葉を選んだとしても、それがどの立場から発せられたかによって届き方が全く違うこともある。見当違いの感想でがっかりさせてしまうかもしれない。よく、「悪意をぶつけてくる人より、好きと言ってくれる人を大切にしよう」みたいな言説もあるけれど、私はそれは少し強引で鈍感だと思ってしまう。たった一つの悪意でも、致命的な傷になることは本当によくあることで、特に創作活動をされているやわらかな感受性を持った方ににとってはなおさらだろう。

 

だから自分のひとつのお返しが、何か影響するなんて微塵も思わないし、悪意と同じように、勝手なエゴに過ぎないかもしれない。迷惑かもしれない。それでも、作品が好きだと伝えること、面白かった、楽しかったと感想をお返しすることは、何かの意味があるのだと信じたい。作り手側はそのあたりをどのように感じられているのか、いろいろな方のお話も聞いてみたい。

 

 

 

 

 

 

大人になることが怖かったあの頃の私へ

「大人になるのは辛いぞ。今のうちが一番楽しいぞ」

 

「浪費」できるほど自由に使えるお金がなかった頃、こんな言葉をよく聞いていた。大人になることがとにかく怖かった。大人にはなりたくないけれど、息が詰まるような狭い世界がとにかくしんどくて、死んでしまいたいと思っていた頃。今よりも辛いのが大人なら、どうして希望を持って生きていけるのかと、苦しい気持ちでいっぱいだった。

 

その頃の私に、大人になった今伝えたい。大丈夫、大人は最高に楽しい。生きていてくれてありがとう。――同人誌からスタートし、先日小学館より発行された書籍「浪費図鑑」(劇団雌猫,2017)を読み終えたあと、こんな気持ちが一番最初に浮かんできた。すでにいろいろな方が感想を書かれていて、どれも作品の魅力を素晴らしく語っておられるところだけれども、私も超超超個人的な感想ではあるが書き留めておきたい。

 

 

この本には、「浪費」という手段をもって様々な対象への愛を注いできた女性たちの赤裸々なエピソードが書かれている。詳しくはリンク先の特設ページや目次をぜひ見てほしい。(また、この感想内で浪費に「」をつけているのはわざとである。浪費という一見マイナスな単語が使われている理由もはじめにで書かれていて、その文章もとても素敵なのでぜひかみしめてほしい)

http://www.shogakukan.co.jp/pr/rohi_zukan/

どのエピソードも面白くて、様々な世界と愛の形があることを知ることができる。

 ところで、私自身はいわゆる「にわか」な人間で、何かに深くのめり込むというよりも広く浅く楽しむタイプである。「浪費」自体もそこまで大きな額は今までない。それでも、好きな本や雑誌、アニメの円盤にお金を使っているときは本当に幸せで、ついつい「浪費」という形で愛情表現をしてしまうことも身に覚えがある。なので半分共感、半分未知の世界を覗き見するような気持ちで読み進めていた。どの方も文章が本当に巧みで、ぐいぐいと惹きつけられていく。その中でも私がとびきりにぐっときたエピソードと一文がある。

”誰かが何かを好きなことには理由があって、きっとその誰かにとっては無駄ではない、意味のあること。その浪費は必ず何かに繋がっていく”

(ロザンで浪費する女/浪費図鑑)

本全体から伝わるメッセージが、この一文に表れているように感じた。この本は決して「こんなやばい生態の人たちがいるんですよ」とさらし者にして読者に優越感をもたせるようなタイプのものではない。むしろ反対で、誰かのあらゆる主体的な「好き」な気持ちをまるっと肯定してくれるような優しさを感じる。そしてなにより、一番に伝わってきたのは「楽しい!!!!」というシンプルな感情だ。それに触発されたから、冒頭記したような気持ちが沸いてきたのかもしれない。

 

生きていくのって大変だ。悩みも不安も次から次へとわいてくる。お金を稼ぐためにつかれた体を引きずり、眠い目をこすって働かなきゃいけない。現実はあいかわらずしんどい。

それでも、お金を稼いで、好きな対象に費やすことができる。世界は広くて、面白いものがたくさんあると気づくことができる。自分の力で飛び込んでいける。それは本当に楽しくて、幸せなことなんだと改めて思った。大人は楽しい。人生は楽しい。自分の幸せは自分で掴み取っていく。そして何より、そういう女性が、こんなにもたくさんいるということ。大人になることを怖がっていた私へ、伝えてあげたい。

 

書籍の魅力が十分に伝えられない文章力がもどかしい……。けれども率直な感想でした。

 

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*1:ちなみに最近はユーリ!!!on ICEとキラキラ☆プリキュアアラモードが私の「浪費」対象です