162.9

0.1mm足りない

いとおしい猫の話

通勤途中に猫がいる。

 

いつもより少し遅れてそこを通ると、猫がいる。背もたれ付きの古びた椅子が置かれている場所があり、 そこに「座って」いる。周りに民家はなく、人もいないので飼い猫というわけではないようだ。「座って」というのは、あたかもこれはヒトが座るためのもので、ここの部分が「座る」ところだと完全にわかっているかのような佇まいを感じるからだ。

 

今日も少し遅れてそこを通ったらやはりいた。しかしなんと今日は椅子に座っていない。椅子の下で身をかがめている。暑いのかどうしたのか。ふと視線を少し先に向けると、猫の1メートルほど先に鳩がいる。なるほど。猫は身を低くかがめて尻尾を左右に大きく揺らし、狙いをすませていた。私はヒトであり、カイシャに行かなくてはならなかったため、その闘いの行方を知らない。

 

なんだかこの猫を見かけると、とても幸せで心強い気持ちになる。ただ存在すること。遭遇すること。ただ日々の命を生きていること。その存在がとても愛おしい。

ひとが星に願った先に触れないということ

今週のお題「星に願いを」

 

先日テレビを流し見ていて、子どもが専門家に電話をして質問に答えてもらうラジオ番組の回想シーンがあった。そこで、流れ星にお願い事をすると叶うのか、と子どもが質問していた。専門家は、星に願うことで叶うかどうかはわからないけれど、短い流れ星の間にその願いが出てくるということは、それだけ強く願っているということだからきっと叶うよと言っていたそうだ。ちょっといい話風にまとめていたそれが、私にはどうにも腑に落ちなくてモヤモヤしていた。

 

いや、めっちゃくちゃいい話だと思う。返しも的確でベストだと思う。でも私の中の何かが引っかかる。

 

「願いが叶う」ことについて言及したり、確約するのって、その人の未来を断言することだと思う。私にはそれが呪いのように聞こえた。あなたの願いは叶いません、というのは明らかに呪いだし、よくないことなんだけれど、あなたの願いは叶いますも呪いだと思うのだ。願いが叶うことは必ずしもその人の幸せではないし、未来の一つの分岐点でしかない。だから人の願いに、その願いの行き先に、触れたくない。真綿でそっと包んで、その人のためだけに、大事に置いておいてほしい。

全力パフォとくしゃっと笑顔に弱い

WANIMAさんとか、DA PUMPのDAICHIさんとか、MOMOLANDのジュイさんとか、全力パフォーマンスかつくしゃっと笑ってめっちゃ楽しそうなアーティストいるとめっちゃメロメロになってしまう。

 

それだけ!!!!理屈も言葉もない!!!!!

 

何もないけど何かあった休日の日記

土曜日も日曜日も近所の薬局に行った以外は家にいた。でもいろんなニュースが入ってきてわくわくだった。

 

金曜日に「花ざかりWeekend🌸」のCD買って、ドラマパートからフルで聞いた。男性ファンが多いコンテンツ、というイメージが強かったから、「社会人女性たち」をメインにもってきてたのは正直驚いた。それでも媚びとか悲壮感とかでなく、「いろいろあるけど楽しい!幸せは自分でつかんでいくのよ!」って可愛くて強くて楽しいドラマと曲でめっちゃめちゃ好き!!っとなったのでがんがん聞いてこ。

アイドルマスターミリオンライブシアターデイズ、いろいろ福利厚生が豊かで、今10連無料なのでわりとゲームが苦手なわたしにも楽しく遊べる要素があって嬉しい……。

 

高橋大輔さんの現役復帰のニュース。誰かのまっすぐな姿が、誰かの心を動かして、その心動かされた誰かの姿勢を見て、また誰かの心が動かされるという連鎖がとても好きだ。フィギュアスケートの世界では度々そういう「憧れが

また誰かの憧れをつくり、高みへ挑む」話が出てくるから嬉しい。応援したい。

 

同じ理由で大好きなユーリ on ICE!!!劇場版のティザービジュアルも公開された。ヴィクトルの「ほったらかしてきたLIFE と LOVE(本編10話)」の過去が明らかになりそうな予感がする。

孤独を感じる瞬間でも、惨めに思える瞬間でも、人を拒絶したくなる時も、それでも「愛のようなもの」を信じて、前を向いてもがいていこうと思えるのは、このアニメがあったからだと思う。本編見返したい。

 

 

 

2018.06.28

仕事中ずーーーーっとアイシャドウとリップが欲しいーーーーと思ってた。集中せんかい。

 

仕事に行くときは下地兼ファンデビャーッとつけて粉ぱーっとはたいて眉毛描いて色付きリップ塗って終わりでメイクをほとんどしない。だから休みの日は思いっきりメイクして出かけるのが好き。見られるためでなく完全に自己満足なのでたまに出かけないのにメイクだけすることもある。

 

アイシャドウとリップはわかりやすく色がついて気分が上がりやすいので大好き。アイシャドウは単色だとちょっと物足りなくて、グラデーションにするのが好き。

 

 

欲しい……

 

2018.06.27

その人の立場になってやってみないとわからないことってある。いやもうこれはほんとに当たり前のことなんだけれど、大変さとかを想像したり慮ったりすることはできても、やったことのないことってやっぱり他人事になってしまう。

 

一方で、じゃあその立場になったから、経験したから全てがわかるのかといったらそれは違うと思う。これは前者よりも厄介で、同じ経験や立場になったことでその人のことを理解した気になってしまいやすい。気をつけなくてはいけないなと思う。その人のことはその人にしかわからない。私たちは違うから、その人のことはほんとうにはわからない。

 

ふと、わかり合うことって、その人を理解するって、それほど大切なことではないんじゃないかと思う。そもそも自分だって自分のことがわかっているか理解しているかってわからない。曖昧な概念だし。

 

相手の表面に現れていることをちゃんとみる。きく。勝手に想像しない。相手の立場で勝手に考えない。相手が発するメッセージをちゃんと受け取る。受け取る努力をする。そういうことを積み重ねていくことが大事なのかなーと思う。

2018.06.26

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「券売機は、待合室の先にあります。」そこにいない誰かが語りかけてくれる看板

 

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自分の責任であるということと、自分を責めるということは、言葉は似ていてても全然違うことだとふと思った。そして私は後者をやりがちだということがわかっている。自分を責めたり自己否定的になったりということは日常茶飯事、むしろもう反射でそういう選択をしてる気がする。あと、「自分が間違っている。相手は正しい」「自分はここにいてはいけない」「自分が我慢すればおっけー」みたいな謎の感覚が常にあるので、言いたいこと言えないとか無駄に他人に合わせて焦ったりそれでミスってまた自己否定みたいなパターンにはまる。

これってある意味で自分の責任を自分で背負っていない態度なのでよくないなーと思う。結局他者基準で生きてるのは他人任せと同義なんだよな。それはしんどいように見えるし実際しんどいけど結局のところ傷つくのを怖がって他人のいいなりになってる方が楽だしそうしたいからそうしてるんだと思う。何言ってるかよくわからなくなってきた。

 

失敗とか間違いとかはただの「現象の捉え方」である。だからその現象に対してどう対処するかということ。あと思考とか自分の選択に対して間違ってるとかない。相手が正しいということもない。逆も然り。

……みたいなことは冷静になってると考えられるのだけれど〜〜〜!歪んだ方向にすっとんでくのを修正するもっとかんたんなおまじないみたいな方法を考えないと永遠に堂々めぐりする気がする。

 

変わらなくなってきたので寝る。