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0.1mm足りない

クリームシチュー作った

クリームシチューを作った。ドラマで作っていたのを見て寒い雨の日に作ることにした。そのドラマではルーも作っていたが、私は市販のルーに頼ることにする。しばらく自炊という自炊をしていなかった。ご飯は炊いていたけれど、お惣菜はスーパーで割り引かれたものを買って食べていた。一口コンロのIHということもあり、電気代が気になって逆に自炊をしないほうがいいのではと思っていた。

じゃがいも、にんじん、玉ねぎの皮をむき、シチューに入っている形状を思い出しながら切る。実家でピーラーを使う習慣がなかったが、一人暮らしを始めて導入してみたところ、こんなに楽に無駄なく皮むきができるのかとびっくりした。じゃがいもと人参を先に耐熱皿に入れてレンジにかける。こうするとコンロを使う時間が短縮できると考えた。玉ねぎを炒め、少しやわらかくなったじゃがいもと人参を投入し、水を入れる。蓋をして煮込んでいる間に洗濯物を畳んだりちょっとした家事を済ませたりする。ご飯もセットする。煮る料理は間にいろいろ済ませられて楽だ。ある程度火が通ったら肉入れてまた少し煮て、火を止めてルーを入れる。溶かすと一気に「シチュー」というかんじになる。牛乳も入れる。ご飯が炊けたので、冷凍用に小分けにしてラップにくるむ。これから食べる分をお皿によそう。シチューとご飯を一緒に食べるのが苦手という人もいるらしい。私はかまわずご飯の上にできたてのシチューをかける。とろとろの鍋いっぱいのシチューにうっとりする。自然と口角が上がる。

食べ始めてあれ、味が薄い?と感じた。だが、お肉、野菜と味わううちに、ちゃんと味がわかるようになってきた。調味料の味ではなく、素材の味にたどりつくのが久しぶりだと思った。口の上に食べ物を入れて、その味を探る、感じる、拾い上げるのを繰り返しているうち、最近私はご飯を食べるというより、お腹につめこんでいたんだなと気づく。嫌なことをマヒさせるための食事。

「感じないようにする」モードに慣れすぎたんだろうななどと思った。私は自分が我慢すればいい、多少の痛みを感じるほうが、人に何か言ったり関りあったり何かしてもらうよりましと考えてしまう。そうなると感じることに対して鈍感になることが多く、それは気持ちの面だけでなく身体的な感受性を鈍くさせることでもある。実際多少寒いとか暑いとか感じてもすっごく我慢して乗り切ろうとしたり、手を切って痛くてもかまわず仕事を続けてしまったりする。

多少高くついても、できるうちは自炊をしようと思った。ご飯をつくる、それを食べるという行為は不思議で、面倒くさいと思う気持ちよりも、なんだか心が落ち着くような気がする。特定の信仰がないのでわからないが、なんだか料理は「祈り」という感じがする。もちろん、一人きりで好きに作れるからこそ思うんだろうけれど。マヒさせてつめこむんじゃなくて、味わって楽しむようにできたらいい。感じることを、自分であるということを取り戻す祈りの時間になればいい。

ちなみに生ハムとクリームチーズと白ワインも買ってしまったので完全に食費が予算オーバーしたけれど、たまには。